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sailor 貴帆 北田浩  Never Stop The Challenge

2016-05-02

The Transat (web)

Hiroshi Kitada – The Transat’s first Japanese competitor

(和訳)
ヒロシ・キタダ ~トランザット史上初の日本人参戦者として~

遡ること2014年。
Route du Rhumのスタートを観るための旅行は、日本人ビジネスマンであるヒロシ キタダにとって夢を、~Class 40でソロ大西洋横断レースに参戦すること~の夢を抱かせることとなった。
それから2年後、トランザット史上初の日本人参加者として、キタダはレースエントリーを果たしたのだ。

”私のClass 40における最初の印象は、”オーシャンレース(ラリー)マシーン” そのものでした” とキタダは説明した。
”(建造開始時)日本にはClass 40が存在せず、情報もほとんどなかったのです。しかし、Route du Rhumスタートで、何人かのスキッパーが彼らの素晴らしい艇をみせてくれたのですね。それで自分の艇を持つことを決めたのです。”

”どんなモチベーションが私をトランザットに突き動かしたのか、説明は簡単ではありませんが一言で言うなら、’憧れ’ です。
私は、Transatlanticレース参戦経験は今までありませんから、無謀だという人もいるでしょう。しかし私は冒険したいのです。” (私のコメントでは冒険という言葉は使っていませんがライターが脚色したのでしょう)
トランザット史上初の日本人セーラー参加、そしてキタダはClass 40で参戦する初の日本人でもある。
自身の情熱に従い、キタダは日本の北部にある自宅と、フランス ブリタニーコーストのロリアンを行き来しているのだ。
”セーリングはあまり日本ではポピュラーなスポーツではなく、特にオーシャンレースに至っては更に厳しいです” と彼は言う。
”日本にはClass 40フリートがないのです。JPN(日本船籍で)のセールNo.を掲げてClass 40レースに参加するのは私の艇が初です”
”私は日本に居住していますが、ロリアンは私のセーリングベースです。両国を定期的に行き来しており、このスタイルを続けたいと思っています…
もちろん、私の妻が許してくれる限りですが!”

キタダは、セーリングキャリアを遅めの40歳という年齢でスタートさせた。最初は35フィートのクルーザーで当時は ”セーリングはエレガントで美しい女性と冷えたシャンペン” と信じていたらしい。しかし一度レースを経験した際に ’何か’ が、’自分の中で瞬時にスイッチが入った’ らしい。
”そして、私は舟からジェネレーター、電子レンジ、エアコン、冷蔵庫、フィッティング、そしてシャワーを引き剥がしたのです”と彼は言った。

”フルのクルーでIRCクラスに参戦を開始し、2013年にはTranspac レースに参戦しました。2000マイルを超えるレースで、それまで経験したレースよりも一番長距離を走りました。フィニッシュラインの祝杯の美味しさといったら、どの他の味よりも格別で比べられません”
オフショアレース経験に触発され、キタダはMini 6.5を購入、ソロレースを試みた。
”とても楽しかったのです。ソロレースの一番の良いところは、すべてが自分の責任で、ただただシンプルで楽。(楽だと言ってないのですが)誰をも責めることができないところですね”

日本では自身の経営する会社の社長としてこの23年間勤めあげ、2016年1月をもって第一線から退き、よって今では時間制限のないセーリング三昧が可能になったという。(実際はそんなに暇ではありません)

彼のトランザット参戦に対する野望は、レースのスローガン ” たった一人の人間、一つの舟、一つの海 ” を実践しながらとても謙虚で、心の内に秘められているように見受けられる。
彼の目標は、「初(参加の)日本人セーラーとして、トランザットのNYでのフィニッシュラインを無事に通過、完走すること~」彼は言う。

” 参加されるスキッパーは、若くパワフルな方から経験や知識が豊富な方までレベルの高い方がおられます。レースでの順位は重要でなく、私にとっては夢と希望、冒険なのです。(このライターはどうしても冒険という言葉を使いたいようですね)
前方を走る艇になんとかついていって、確実にNYまでの3000マイルを完走することを目標にしています。”

キタダにとって、チャレンジは海上だけではない。
英語も、フランス語も少ししか理解できないためコミュニケーションをとることは非常に困難を極めているそうだが、彼は、いつの日か自身のオフショアセーリングの関わりにより、未来の世代にとってこのような障壁がなくなってほしいと望んでいる。
” 私のような者のトランザット参加が、若い日本人セーラー達にとってオフショアレーシングに注目するきっかけになってくれたら、と思います。言葉の問題は日本人セーラーだけでなく、他のヨーロッパ圏外のセーラー達にとっても大きな壁でしょうから。”

” 私にとっての夢は、いつの日か将来、日本語がフランス語、英語に次ぐ第3言語としてオーシャンレース界に認知してもらえたら、という事です。今の私ときたら、レースや、セーリングベースであるロリアンでの活動では翻訳ソフトに頼ってコミュニケーションをはからざるを得ないのです”

ヒロシ・キタダは、来る5月2日、トランザットレース、プリマスのスタートラインに立つ。

Hiroshi Kitada - The Transat’s first Japanese competitor

https://www.thetransat.com/news/view/hiroshi-kitada-the-transats-first-japanese-competitor

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