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sailor 貴帆 北田浩  Never Stop The Challenge

2024-01-06

小笠原レース「船上のリアル」Vol.5

復路に乗ってくれた弥勒IIの若井さん
復路に乗ってくれた弥勒IIの若井さん(右側)

第九話「電池の話し」

レース中、私自身の電池(体力)は残しておく必要があった。Jeanからはよくセーブエナジーと指導されてきた。出来るだけ余計な動きをしないように。

今回はSoloでは無いがいつお嬢さんらの電池が切れるか未知数であった事と、万一の際は誰にも頼らず復旧もしくは、お嬢さんらを守って帰らなければいけない。

いくら基本女子2名のダブルハンドとはいえ最後まで2人きりでレーシングモード全開で走り切れるとは思っていなかった。

小笠原から浦賀迄の復路が少し心配になってきた。

本音を言えば私は後二、三日小笠原で充電したかったのだが、お嬢さんらは何か予定があるらしい雰囲気だったので5月3日には浦賀帰港でルーティングを検討した。

気象予報を見る限りでは表彰式翌日29日の出港を見合わせれば次は5月2日頃になりそうな感じだった。

復路はレースでは無いが、往路のレースの状況からみて誰かもう1人助っ人が欲しかった。

とにかくメインのリーフやタックジャイブでひたすら笑顔でウインチを回してくれるような助っ人が欲しかった。

余談だが貴帆は罵声を浴びせることを禁じて船内の随所にスマイルマークのステッカーを貼っている。大きな声は歓迎するが罵倒する事は厳禁なのだ。

テティス、ゼロ、ビターエンドと完走したチームにそろりそろりとアプローチするも既に動きが決まっているようだ。特にゼロはエンジンが壊れてそれどころではなく長期戦になりそうだとの事、山田オーナーは広島からお好み焼きセットを送らせ小笠原で屋台を開き資金を稼いでエンジンを修理して帰るのだとか(たまげた)

弥勒の重野さんに声を掛けたところ、一緒にサバトレを受けた若井さんが小笠原丸で帰る予定だが貴帆に乗って帰っても良いということらしい。

若井さんは私と同年代で口達者なのはサバトレで確認済みであったが、肝心のウインチを回してくれる電池が残っているのか?そして何より初対面のお嬢さんらがお父さんがもう1人増える事を承諾してくれるかだが?流石に自分らの仕事が減らせるとなればオッチャンの増員など問題無いらしく快諾となり助っ人ウインチマンが確定した。

私の電池温存計画も上手くいきそうだ。

帰路の気象予報では微風も予想されたので機走巡航で5.5ノット程の貴帆であるが帆走で3ノットでのたうち回るよりマシと満タン60リットルタンクの他にポリタン18リットルを積む事にしたのだが、結局の所東京湾入り口までは全て帆走で帰ることができた。

第十話「いろいろ」

体験乗船会

島の子供たちを乗せる体験乗船会を予定していたが、海保の指導で中止になった。予め3月の訪問で前回同様にと申し合わせていたのだが、どうやら春の転勤などで申し送りが上手く行っていなかったのか?

急遽艇の見学会へと変更となった。

貴帆にも結構な数の見学者が訪れた。

フランスでの活動中に貴帆を訪れた老若男女へのプレゼント用に作っていた貴帆グッズを積んでいた。貴帆JORA(当時はJOSAではなくJORAとして設立活動していた)缶バッジはあっという間に無くなってしまい、貴帆ステッカーを持ち合わせていたので切り替えた。あと数枚で無くなってしまうところであった。引率の先生には一冊積んでいた「光跡」を進呈、生徒で読み回し感想文を書いてもらうのだとか。日本でもこのようなふれあいの時間を作ることはとても大切な事だと改めて実感した。

絵の才能

小笠原ヨットクラブから寄港記念に寄せ書きをしてもらっているとの事でノートを渡された。

宇田川に宜しくねと任せる事にした。

大方出来上がったと、あとは吉富と私に一言書いてと見せてもらったノートにびっくり仰天!

©️宇田川真乃
©️宇田川真乃

なんじゃこりゃ〜

絵の才能が凄い!

聞くところによると美術の授業ではいつも成績が良かったらしい。貴帆がイキイキと描かれていた。忖度無しで感動した。

第十一話「表彰式」

いよいよ表彰式だ

結果はファーストホームと総合優勝を頂く事が出来たが、何か気恥ずかしい思いだった。

小笠原レースのカップは想像していたより大きく豪華だった。

村長(代理副村長)とレース石川レース委員長よりそれぞれのカップを頂く。

石川さんは私が引きずり込んだ南北海道外洋帆走協会の元理事長で私もそこに所属してお世話になっている。

私は英仏海峡を舞台に何度もレースをして来たが、ハッキリ言って地元の津軽海峡の方が難しい。まるで運試しをしているかのように。

石川さんからカップを頂き地元の意地を見せられた事が嬉しくも安堵で力が抜けた。

二つのカップは吉富と宇田川に渡した。彼女らはとても頑張ったのだからカップの重さと喜びを感じた事だろう。私は立派な2つのレプリカカップを抱いた。

表彰式ではマイクが回ってきた。吉富と宇田川共に嬉しさの言葉を発していた。

私は引退宣言をした。(笑い)

実は少しこみ上げるものがあった。

レース中には今度こそ絶対やめてやると誓っていた。(いつもの事だけど)

パッションフルーツ特Aの香り

家族への戦利品

副村長から副賞として大きな箱に入った島産のパッションフルーツを頂いた。

特Aという特級品らしく、箱の蓋が閉じているにもかかわらず何とも表現し難い良い香りが会場いっぱいに漂った。

あ、これは私の物!

誰にもあ〜げない。

戦利品として家族に持ち帰ろう。

とは言ってもカップとパッションフルーツを貴帆に積んで帰れば浦賀に着いた時にはカップは壊れ、フルーツは潰れている事に間違いはなく、鈴木保夫さんにご迷惑をおかけしたが宅急便で送って頂く事にした。

裕介の献身

二次会にレース中の写真や映像を流すべく中国滞在中の堀内くんとやりとりしていたが、問題が発生してデータの受け渡しが出来なくなった。鈴木保夫さんと相談して各艇からデータを掻き集めて即席のスライドショーを作ろうということになった。

そう言えば裕介がパソコン持ってきてたはず。

裕介!パソコン持って来い!

はい?

2人で各艇を回り素材を巻き上げた。

疲れているであろう裕介は夜な夜な制作を続けた。二次会が始まってもまだ終わらない。乾杯のビールも飲まずに離れたカウンターで作業が続く。

出来た!

よくやった!

そのムービーを皆で見ながら歓喜が溢れ、各自から一言ずつのスピーチ

地元の有志も加わりとても良い時間が流れた。

裕介とは保夫さんの息子の鈴木裕介くんで、今回のレースでは自艇ビターエンドのスキッパーとして、また最年少スキッパーとして見事に走り切った。JOSAのメンバーでもある。将来を期待してやまないものである。

(第12話に続く)